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浅野モオム  môme ASSANO ― 略歴

浅野モオム帽子

カソリック系高校から禅寺修行。上京して広告会社でデザイナー、イラストレーターとして働く。 その後に渡仏。6年間のパリ在住中はファッション関係のテキスタイルデザイナーとして働く。帰国後、「モオム・アサノ」アーチストブランドを立ち上げ、ファッション商品を中心に企業と契約して全国に流通されるようになる。2000年に東京から故郷の岐阜県羽島市の生家にアトリエを移す。その後、アトリエ内に私設ギャラリーを併設。現在は「旅する絵描き計画」と名付ける絵画の展覧会を国内外で発表している。

浅野モオム物語 ― ご挨拶

27歳から33歳(1975~1981)の6年間、パリに住んでいました。東京にいるとき私の性格は落ち込みやすく、人間関係にも自信がなくて暗い日々でした。誰も私を知らない世界で、まっ白な自分からやり直したい。トランプカードのオールチェンジのイメージ。そんなことが起こったのが私のパリ生活でした。パリはすべての芸術の舞台。その中にいると思うと、思い切り楽しめばいいと思いつきました。若い時、禅寺生活を2年間体験した私。あの頃の辛さに比べたら天国のようです。私の性格も気が付くと180度かわっていました。本来の自分を見つけたのだと思います。禅の体験とパリでの自分発見。モオムの絵はそこからスタートしています。 私はいろいろなモチーフでデザイン画を描きました。いつも考えていたことは、今まで世の中になかった絵をプリント生地に表現したいということでした。テキスタイルデザインのみならず、色々なジャンルで仕事したいという思いでデザインし、ハンコでつくる名刺にしました。フランスの友人たちが、「モーム・クレヨン―鉛筆小僧」と名付けてくれました。私の仕事はこの1本の鉛筆からはじまる、イメージを描くことからスタート。子供のような好奇心で描き続けよう。

「モオム・アサノ」ブランドとして製品化される
パリ時代、山本寛斎、KENZO、三宅一生らとファッション誌の特集記事に。

帰国後、自らのアーチストネームを「浅野モオム」と改名。個展などを通じて世の中が私を見つけてくれる幸福な体験が続きました。「モオム・アサノ」ブランドとして種々なジャンルで楽しい仕事ができました。そして今、画家である私のメーンテーマは「文様人シリーズ」です。世界中のいろいろな国々に伝わる文様などをコラージュして、キャラクター的に擬人化しています。テキスタイルデザイナーの時も、画面に模様や文様などを描いていたともいえるのです。 Homo Ornamentos(ホモ・オーナメントス)オーナメントは装飾という意味もあります。 着飾る人々。 笑う文様人。 このテーマで20年以上描き続けています。メルボルンのある画廊オーナーが「異宇宙のアニメキャラにも見える」といっていました。異文化交流会へ行くパーティーの参加者たちなのかもしれません。

Statement

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